ページの本文です。
更新日付:2019年6月26日 / ページ番号:C003373
岩槻は人形の町として全国的に有名まちです。岩槻で作られる衣裳着人形は「岩槻人形」、木目込人形は「江戸木目込人形」として、国の伝統的工芸品に指定されています。また、岩槻地域で製作されたすべての人形を「岩槻人形」とよぶこともあります。
岩槻人形の起源は諸説ありますが、岩槻に人形産業が発生し発展した条件として、岩槻台地の鉄分を含んだ水が顔の色の発色に良いといわれていること、また、頭(かしら)の材料である桐粉が岩槻、春日部地域の箪笥(たんす)作りにより多量に発生したことにより、材料が入手しやすかったという地理的要因があります。
※ 参考:岩槻人形協同組合HP
自然林に囲まれた起伏の多い公園(17.9ヘクタール)で、岩槻城址の土塁が今も残っています。約650本の桜が咲く県内有数の桜の名所です。園内の池には、朱塗りの八ツ橋が架けられており、6月から8月上旬までは睡蓮が見ごろとなります。
また、スポーツ施設として、野球場やテニスコート。そして、家族連れで楽しめるピクニック広場やわんぱく広場などがあります。
住所:さいたま市岩槻区太田3-4
問合せ:岩槻城址公園管理事務所
電話:048(757)9122
岩槻藩遷喬館は、岩槻藩士の児玉南柯(こだまなんか)が、寛政11年(1799)に私塾として開設したもので、後に藩校として藩士の子弟の教育施設となりました。
(補足)平成15年度から3ヵ年をかけた解体修理復原工事が終了し、平成18年5月1日から一般公開されています。【県指定文化財】
住所:さいたま市岩槻区本町4-8-9
問合せ:教育委員会事務局 生涯学習部 博物館
電話:048(644)2322
入場:無料
寛文11年(1671)に、当時の城主阿部正春が造らせたものです。「岩槻に過ぎたるものが二つある 児玉南柯(こだまなんか)と時の鐘」とうたわれるほどでした。当時から岩槻のシンボルとして知られ、その鐘の音は九里離れた江戸まで聞こえたということです。そして、現在もなお、1日に3回(6時、正午、18時)美しい響きで時を告げています。【市指定文化財】
住所:さいたま市岩槻区本町6-229-1ほか
問合せ:教育委員会事務局 生涯学習部 文化財保護課
電話:048(829)1723
岩槻城址公園内にある黒門は、門扉の両側に小部屋が付属する長屋門で、かつては岩槻城の城門として威風を誇ったものです。明治維新後に埼玉県庁の正門となり、後に知事公舎の正門となりました。昭和29年、旧岩槻市に移管され、昭和45年、現在の岩槻城址公園内に移築されました。【市指定文化財】
住所:さいたま市岩槻区太田3丁目
問合せ:教育委員会事務局 生涯学習部 文化財保護課
電話:048(829)1723
岩槻郷土資料館は、岩槻警察署庁舎として昭和5年に建てられました。建物には、大正期のアーチ状の造形やアールデコと呼ばれる装飾が随所に施されています。昭和57年に岩槻郷土資料館として開館し、岩槻城のジオラマのほか、大昔の暮らし、岩槻のあゆみ、くらしの道具などを展示しています。 【国登録有形文化財】
住所:さいたま市岩槻区本町2-2-34
問合せ:教育委員会事務局 生涯学習部 博物館
電話:048(644)2322
入場:無料
中井銀行岩槻支店として大正時代後期に建築された煉瓦(レンガ)造2階建ての洋館建築です。建物正面を3分割し左右に窓を対象に配置する大正時代の典型的な様式です。現在は東玉大正館として国登録有形文化財となっております。【国登録有形文化財】
※外観のみの公開です。建物内部や敷地内での見学はできません。
住所:さいたま市岩槻区本町3丁目
問合せ:教育委員会事務局 生涯学習部 文化財保護課
電話:048(829)1723
岩槻は、近世以降、木綿の集散地として栄え、長谷川家も明治30年頃まで白木綿問屋を営んでいました。棟札等から明治初期の建造とみられます。長谷川家見世蔵は、通りに面した土蔵造2階建で、背面側には木造平屋建の主屋が続きます。白木綿を想起させる鮮やかな白漆喰塗の大壁、塗り込められた出桁造の軒、影盛を施した大振りな鬼瓦などが特徴です。正面には、上下に開閉する摺揚戸が残り、関東地方の商家の特徴を良く示した貴重な建造物です。【国登録有形文化財】
※外観のみの公開です。建物内部や敷地内での見学はできません。
住所:さいたま市岩槻区本町3丁目
問合せ:教育委員会事務局 生涯学習部 文化財保護課
電話:048(829)1723
岩槻区役所/区民生活部/観光経済室
電話番号:048-790-0118 ファックス:048-790-0260
表示モード : パソコン版スマートフォンサイト